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2009年6月 1日 (月)

サンボに魅せられた男

サンボに魅せられた男

ビクトル古賀(本名。古賀正一)は、一橋高校から日大医学進学課程へ入学して、レスリング部に入部。しかし、医学よりも、レスリングの方が面白くなって、医学コースから法学部に転じた変り種である。周囲の猛反対も何のその。ビクトルはレスリング一本に打ち込んだ。高校時代にはレスリング部が無かったため、彼は千葉の佐倉高校や東京の京北高校などに足を運び我流ながら、マイペースで練習した。この自由奔放な性格、大陸的人間性がやがて日本でソ連国技のサンボを日本に根ずかせる基礎がために貢献したのです。
八田一郎日本アマレス協会会長の命令を受け、単独で、当時のソ連へサンボ修行に飛び立ったビクトルは、まず家業の京浜土地(株)という会社の事務を投げ出し、ついで家族を犠牲にした。一口に地位や私財を投げ出すと記述するのは容易だが、実際に実行するのは、大変であります。

これも格闘技にやみつかれたものの宿命か。ビクトルはサンボ一本に人生の照準を絞り込む。日本柔道を痛めつけたサンボには、それだけの魅力があったのであろう。その神髄を希求するために彼は訪ソした。当時のソ連は鉄のカーテンの国とされ、西側諸国とはほとんど交流が無く簡単に渡航ビザが出ない状態でした。彼の熱意が通じたのです。ビクトルがすぐさま神秘的な格闘技であるサンボに取り組めたのはなんと言っても彼の体内に流れる血に、ロシア人のそれが混ざっていた要因を見逃すことが出来ないばかりか、ロシア語を自由自在に操れたという理由をあげることが出来ます。
私のビクトル古賀先生に出会えたきっかけは、米海軍横須賀基地道場にレスリングの野田コーチの紹介とお膳立てで、レスリングとサンボと合気道の合同練習をしたのが始まりです。このときビクトル古賀先生と息子の徹さんが駆けつけてくれました。このとき初めて古賀先生のビクトル投げ、飛びつきうで十字等の技を体験して感動しました。

当時古賀先生は、横須賀汐入にあるダイエイショっパーズ五階の読売文化センターでサンボ教室を指導されていました。古賀先生はこの教室に私を呼んでくれました。此れをきっかけに、古賀先生のサンボの技を学び始め、サンボの素晴らしい投げ技、寝技、関節技を合気道に取り入れたらと思いつきました。古賀先生も私の希望に同意してくれました。そして、数々の有効なサンボの技を指導してくれました。ロシアにおける合気道指導活動にサンボの技を取り入れることにより、より多くのロシアの皆さんに私の合気サンボに興味を持ってもらい、参加してもらい、喜んでもらえると思うので、がんばるよう古賀先生から激励の言葉を頂きました。これからも、武器を持たない、ロシアの護身術であるロシアのサンボの技を積極的に取り入れ、合気サンボの護身術としての有効性、実用性を高めていく努力を続けたいと思います。

中澤流合気柔術
合気サンボインストラクター
柳聖館道場
館長 中澤健二

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コメント

突然のコメント失礼致します。
失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
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もしよろしければ、こちらのページから相互リンク登録していただけましたら幸いです。
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今後ともよろしくお願い致します。
sbcBwyov

投稿: sirube | 2009年6月 1日 (月) 08時36分

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